一 竜操兵団
「おい、ありゃあ竜操兵団の連中だぜ」
同じ隊に所属する男の声で、テオドルは食を掻き込んでいた手を止めて顔を上げた。トールという名のその男は声を潜めたつもりのようだが、元々器用なことができる人間ではない。彼の声は存外大きく、人々の合間を駆け抜けていった。
ここはエルダーグラン同盟のボールランを攻略せんと、アイアンヒルに展開されたノーザリア軍の野営地。ようやくありつけた食事に賑やかになっていた野営地はすうっと静まり、兵士達は好奇の目でこちらに近づいてくる一団に目をやったのだった。
――竜操兵団。
竜を意のままに操る能力を持つ一族で編成され、竜を兵器として使役する。テオドルも話だけは聞いていたが、何しろこの竜操兵団についての情報はとりわけ厳重に管理されているらしく、兵士達の間で囁かれることも噂の域を出ない。彼も軍に入って三年ほどになるが戦場で彼らと一緒になる機会もなく、存在すら疑っていたくらいだ。
それが今日の午後、野営地の後方で複数の竜が現れたと兵士達が騒ぎ出した。
初代皇帝ウィラード・ウォーロンドの死後に勃発した継承争いを収めて後を引き継いだゼラ帝。国内の騒乱を抑えた彼女はラスト大陸の統一を掲げ、彼女自身はファイアランドを、いとこのレイオン将軍にはエルダーグラン同盟侵攻に当たらせた。動員された兵士の数は過去最大規模に及び、その中には新たに徴用された新兵も含まれている。突然の竜の出現によって混乱状態に陥ってしまったのは彼らなのだろう。正直、テオドルでさえ冷静でいられるか自信はない。
多くの人々にとって、竜とは人間を襲って喰らう、恐ろしい生き物だ。吟遊詩人達は古の竜退治の英雄譚を歌うが、竜を打ち倒す特別な力を持つからこそ彼らは英雄なのだ。
「狼狽えるな!」
馬の蹄の音と共に、張りのある声が朗々と響き渡った。人を従わせる、圧倒的な力に満ちた声だ。引き寄せられるように振り返ると、砂煙を上げて馬と一体となった黒い影が駆け抜けていった。
「レイオン将軍!?」
慌てふためいた声を上げる、身なりのいい軍人。すると、あれは南征将軍レイオンなのだと、テオドルはぐんぐんと遠ざかっていく後ろ姿をぼんやりと見送ったのだった。
「あれこそは我が軍の竜操兵団! その牙は我らの敵を屠るがためのもの! 我らが兵よ、静まるのだ!」
あれらの竜は自分達の味方だと聞かされ、兵士達も落ちつきを取り戻した。何よりも、レイオン将軍の力強い言葉が大きく作用したことは疑いがないだろう。
――これまで謎めいた存在であった竜操兵団もレイオンの麾下に入り、エルダーグラン侵攻に加わることになったのである。
その出来事から数刻後。
竜操兵団は野営地の最も奥まったところに駐留することとなったようである。レイオンの一喝で混乱は静まったが、やはり兵士――特に新兵達の恐怖心をいたずらに煽りかねないとの懸念からだった。
その彼らが与えられた一角から離れ、多くの兵士達がたむろする場に姿を現したのだ。
こちらに向かってやって来るのは、一、二……五人だ。先頭の身なりのいい二人は、レイオン将軍直属の騎士だろう。そのすぐ後ろ、二人の騎士の肩にも届かない位置に、小さな頭が見え隠れしている。
(あれは……ガキか? いや、違う。あれは――)
女だった。
ゼラ皇帝も自ら兵を率いて数多の戦に参戦し、女性兵士もいないわけではない。しかし、戦場にあってはやはりその数は少なく、珍しい。
しかも見るからに若い。故郷の隣家は小料理屋を営んでいたが、そこのよく働く、気立てのいい娘が十六、七だったか。その娘と同じくらいの年頃にみえる。
(竜操兵団にはあんなに若い娘もいるのか)
好奇心が抑えられない様子でじっと固唾を呑んで見守っている兵士達を睥睨し、二人の騎士はテオドル達の近くを通り過ぎていった。それに娘も続く。固い表情で真っ直ぐに前だけを見て歩く娘、その横顔がテオドルの脳裏に焼き付いたのだった。
長い黒髪を後ろで三つ編みにし、切りそろえられた前髪の下にある切れ長の目の色も同じく漆黒。質素な荒織りの上衣にズボン、その上に毛織物の外套を羽織っていた。それ自体はテオドル達兵士が身につけているものと大差ない。不思議な雰囲気を纏った娘だった。浮世離れしているというか、神に仕える神職が携えている空気にどこか似ている。
とりわけ目を引いたのが、彼女が細い両腕で抱えている大剣だ。鞘には布が巻き付けられているが、柄の部分は露わになっていて、それが剣であることは一目ではっきりとわかった。しかし、何しろ大きい。二人の騎士達も腰に剣を提げているが、それよりもはるかに大きいのである。
「なんだぁ? あの剣は。あんなモン、娘っ子の細腕で振るえるわけがねぇ」
トールが驚きの声を上げたが、同感である。今も両腕で抱え込んでいるくらいだ。彼女があれをまともに扱えるとは到底思えなかった。
彼らの後ろ姿が遠ざかっていく。テオドルは娘の姿に気を取られてしまったが、彼女の後ろにも男が二人いた。娘と同じような装束、似通った雰囲気を備えた彼らもまた、竜操兵団の一員なのだろう。
その姿がすっかり見えなくなってしまうと、兵士達ものろのろと動き出し、食事を再開した。やがて喧噪も戻ってくる。
テオドルも椀に残っていたスープをずずずっと飲み干した。今日の夕食は馴染みのない味付けだが、ただひたすら黙々と平らげていく。
食事の用意は当番制だが、ノーザリアの各地から集められた兵士達の調理する食事はその出身地によって味付けに特色があった。親しんだ味とは違う食事に不満を訴えた兵士達の間で喧嘩が起こったこともある。軍隊においては食事は唯一の楽しみといっていい。故郷を離れての出征となれば、郷愁ゆえに馴染み親しんだ味が懐かしくなることもあろう。
そんな兵士間の食事問題も、先頃大隊長ブルーノ・ベイロンの『仲裁』によって、一応の解決をみた。彼は、殴り合いの喧嘩を繰り広げる兵士達を皆等しく投げ飛ばし、こう宣ったのである。
「この隊で飯に文句をつける奴ァ、皆飯抜きだァ! 気に入らねェなら食わなきゃいいだろうがッ!」
以降、食事の内容で喧嘩が起こることはなくなった、というわけなのである。大地に転がった仲間達の姿を思い出してテオドルは首を竦めた。
「さて――っと」
食事を済ませた彼は、かけ声を掛けて立ち上がる。空になった食器を片付けたら、あとは交代での見張りだ。
野営地近くに流れている小川に向かう道すがら、竜操兵団の一団が消えていった方角を振り返った。あちらにあるのは南征将軍レイオンら『お偉いさん』の天幕だ。レイオン直属の騎士もいたことだし、彼に呼びつけられたのかもしれない。
(竜操兵団、か――)
竜を意のままに使役することが出来る一族。眉唾物の話だと思っていたが、本当に存在していたとは。
「ま、俺には関係がないけれどな」
その独り言は早々に裏切られるのであった――。
◇ ◇ ◇
「よう、テオドル! 見張り、ご苦労さんだったな!」
翌朝早く、小川の冷たい水で顔を洗っていると、突然すぐ横で濁声が響いた。見張りの任務は夜半過ぎに同僚と交代して少し眠ったのだが、冷たい水よりも何よりも、その野太い声が眠気の残滓を一気に霧散させた。
「……大隊長」
テオドルの隣でザブザブと豪快に顔を洗い、次いで水筒で汲んだ水に喉を鳴らしているのは、彼が所属する大隊の隊長ブルーノ・ベイロンだった。どういう理由かはわからぬが、何かと目を掛けてくれる上司である。時折面倒に思うこともあるが、テオドルもこの豪放磊落な大隊長を気に入っていた。
「どうだ、一緒に朝飯でも」
ブルーノはにやりと笑ったが、その目は何か言いたげだ。どうやら話があるらしい。こうして声を掛けてきたのも偶然に見かけたというわけではなく、わざわざこの自分のことを探しに来たのかもしれなかった。
「はあ、それでは」
となると、テオドルには断るという選択肢はない。
大隊長という立場であるブルーノには、狭いながらも単独で天幕が与えられていた。
「ほれ」
毛皮の敷物の上にどっかりと腰を下ろしたブルーノは、火で炙った肉厚のハムを堅パンに挟んで差し出した。他の兵士達と代わり映えのしない食事内容だ。テオドルは礼を言って受け取ると、早速かぶりついた。その名の通り堅いパンなのだが、何度も噛み締めると甘みが感じられる。ブルーノもまた、同じ物を頬張るのであった。
「お前さん、竜は恐ろしいかね?」
テオドルよりも早くパンを平らげた大隊長が尋ねた。
「――ん。そりゃあ、恐ろしいですよ」
口の中に残っていたパンとハムを慌てて飲み下し、テオドルは答えた。竜と聞いて、まず思い起こすのは昨日見た、竜操兵団の一員だという娘の姿だった。
「よし。じゃあ、お前さんには竜操兵団の連中のところに行ってもらおう」
「……いや、何でそうなるんですか」
じろりと上司を睨む。彼は豪快に笑った。
「恐ろしいと言いつつ、お前さん、ちっとも怯えていないじゃないか」
テオドルとて突然竜に遭遇すれば恐ろしい。命の危険を感じることだろう。だが、少なくとも竜操兵団については必要以上に恐れる必要はないだろう。竜を操れるというのはどうやら本当らしい。でなければ、今頃この野営地は竜に喰われた兵士の屍がごろごろと転がっているはずだ。しかし何事もなく、テオドルも同僚達も、そして目の前にいるブルーノにも何ら変わりはない。彼らが連れている竜はむやみやたらと人間を襲ったりしないのだろう。
「だが、お前さんのような人間ばかりじゃなくてなぁ」
そうぼやくブルーノだが、彼だって恐れている様子はない。テオドルの視線の意味に気がついたのだろう。彼は苦笑を浮かべた。
「いや、俺が動くとなるとさすがに目立ちすぎるんでな。その点お前さんならぴったりだ」
そう言うと、彼はすぐ目の前に封蝋で封じられた書簡を置いた。そこにくっきりと記された印章に、テオドルは目を見開いた。シルバー家の紋章。剣聖エイデンからの書簡というわけだ。
先ほど大隊長は目立ちすぎると言った。剣聖エイデンが密かに竜操兵団と連絡を取ろうとしている。それは一体何故なのだろうか。
「さあ、そこまでは俺にもわからん。だが、レイオン将軍は竜操兵団を使うことに納得していないらしい。皇帝陛下の命だから渋々従っているようだがな。そして剣聖エイデンは陛下の忠臣だ。といっても、今回のエルダーグラン侵攻では司令官はあくまでもレイオン将軍。ま、上の方々は何かと面倒だということだ」
ブルーノはそう締めくくった。
「では、こちらはお預かりします」
テオドルが書簡を懐にしまい込むと、彼は頷いた。
「ああ、よろしく頼む。そいつを竜使いの長に渡してくれ」
「竜使い? 長……?」
「お前さんも昨日、見たんじゃなかったのか? 兵士共がずいぶんと騒いでいただろ。レイオン将軍の騎士達と一緒にいた娘。あれが竜使いの長だ。竜操兵団の団長でもある。竜使いってのはあの一族の呼び名でな。まあ、こっちが勝手にそう呼んでいるだけだが」
知らなかったことが次から次へと大隊長の口から語られ、テオドルは目を白黒させた。
それにしても――。
「あんなに若い娘が……」
口をついて出た独り言に、ブルーノはにやりと人の悪い笑みを見せた。
「そう思うか?」
まだ、何かあるというのか。
「実はな、竜使いの一族は長命な竜と同じくらいの寿命があるんだと。長寿な奴で三百年とも聞いたぞ。それで、成長や老化も他の人間よりも遅い。あの長、娘のような見た目で、中身はばあさんかもしれんぞ?」
嘘か真かはわからんがな、と付け加えて、大隊長はにやにやとテオドルを見ている。きっと今、自分は奇妙な顔をしているのだろう。そう思うと悔しいが、この大隊長にそう簡単に勝てるはずもないのだと、自分を慰めた。
「それでは、竜操兵団の駐留地に行って参ります」
「おお、頼んだぞー」
一礼して天幕を辞するテオドルを、ブルーノはヒラヒラと手を振って見送ったのだった。
◇ ◇ ◇
「お待たせして申し訳ありませんでした」
それから少しばかり時が経過して、テオドルはベイロン大隊長のものと同じような天幕の中にいた。そこへ外から声が掛けられて、入り口を覆っていた厚い布が上げられる。朝の光を背に、一人の少女――外見上は――が姿を現したのだった。申し訳ないという謝罪の言葉とは裏腹に彼女の態度はあくまでも泰然としていて、とてもそんな風に思っているようには見えなかった。
彼女はテオドルの前へ回り込んで腰を下ろした。
「竜達の世話がありましたので」
テオドルの視線を受け止めて、竜使いの長は真っ直ぐに見つめ返してきた。
昨日と同じような出で立ちであったが、彼女は羽織っていた毛織物の外套を取り去った。現れたのはやはり簡素な上衣だったが、首に何か提げていることにも気がついた。外套によって隠されていたそれは、片手で握り込んでしまえるほどの小さな袋で、細い縄をくくりつけて首から提げているのだった。お守りのようなものだろうか。
「一族の長――そして、今は竜操兵団の団長でもあります、サギリと申します」
その顔には一切の表情がない。穏やかな口調、落ち着いた態度。しかし、テオドルには周囲の気温が急に下がったように感じられた。ふと、強い存在感を感じてそちらに目を向けると、そこにはあの大剣が立てかけてあった。
「サギリ殿。こちらがブルーノ・ベイロン大隊長より預かった、剣聖エイデン様からの書簡です」
竜操兵団団長には大隊長に相当する地位が与えられる。そう小耳に挟んだので、相応の態度を選択した。
サギリは小さく頷いて、テオドルが恭しく差し出した書簡を受け取った。「失礼します」と断ってから書簡を開封する。ざっと目を通すと、すぐにその手紙をしまい込んだ。あっけないほどに短い時間のことだった。
「エイデン殿には感謝をお伝えください」
「感謝……ですか?」
竜使いの長は頷いた。何気ない仕草だが、妙に重々しい空気が彼女の周囲を取り巻いているような気がしてならない。
「はい。エイデン殿はこの軍の中での我々の処遇について、色々と心を砕いてくださったようです」
◇ ◇ ◇
(竜使いの一族。竜操兵団、か)
テオドルは竜操兵団の駐留地を出て、元来た道をとぼとぼと歩いていた。
もう用は済んだとばかりに、慇懃な態度ではあったがサギリの天幕から追い出されてしまった彼に、これ以上この場所に留まる理由はない。竜を意のままに操り、使役することのできる能力、そしてそれをもつ人々。彼らに好奇心を抱かないではなかったが、駐留地の人々の態度ははっきりいって冷淡だった。サギリとの間にも、目には見えない分厚い壁を感じたが、他の者達はその比ではなかった。
一刻も早く出て行ってくれ、という視線を行き交う全ての人間から集中砲火のように浴びせられては、胆の座った男だと評されることの多いテオドルといえども降参するしかない。彼らは皆、サギリと同様の装束を身に纏い、無駄口を一切叩くことなく黙々と作業をこなしていた。そんな彼らの背中からは強い拒絶を感じる。よくよく見れば、やはりサギリと同様に小さな袋を首から提げている者が多い――というよりも、ほとんどがそうではないだろうか。一族に伝わるお守りなのかもしれなかった。
(そういえば、竜の姿がないな)
サギリは竜の世話で遅れたと言っていた。この駐留地の近くに連れてきているのだろうが、それらしい影すらとらえることができない。昨日の一件が尾を引いているのかも知れなかった。竜に対する恐れはあるが、それでも姿を見てみたいものだ、とテオドルは胸中で溜め息をついた。昨日の騒動については仲間達から伝え聞いたが、彼自身は直接目にしていなかったのだ。
(それにしても、不思議な娘だったな……)
竜使いの一族にも興味はあるが、もっとも彼を惹きつけたのは一族の長、サギリだった。ここにいる人間達は皆表情に乏しく、騒ぎ立てる者もなく、戦場近くだとは思えない静寂があった。とりわけサギリの周囲は静謐な雰囲気で満たされていた。あの娘が本当に竜を使役して、敵兵を殺すのか。彼女が血に塗れる姿が想像できなかった。
最後にもう一度だけ。竜使いの一族の駐留地を振り返った後に、未練を断ち切るかのように足を速めた。
同じく南征将軍レイオンの麾下に配属されてはいるが、テオドルと彼女達が戦場において作戦行動を共にする機会は恐らくないだろう。竜操兵団は単独での行動となるはずだ。同じ地にあってもこれだけの大軍勢だ。再び顔を合わす機会も、もうないかもしれない。
その予想は、またしても遠からず外れるのであった……。