三 仕えぬ者の地【一】

「こいつぁ、圧倒的だな……

 テオドルは上空を見上げて呟いた。しかし、自身もまた戦場にいるのだということを忘れてはいない。横合いから斬りかかってくるエルダーグラン兵の剣を己の剣で受け、返す刀を敵兵の胴に叩き込む。彼の頭上では竜が咆哮を上げ、エルダーグランの陣営を目がけて急降下していった。

 この日、夜が明けて太陽が昇ると、ノーザリア、エルダーグラン両軍では一斉に角笛が鳴らされ、戦いの火蓋が切って落とされた。

 軍馬の嘶き、蹄の音。

 鋼と鋼がぶつかり合って、火花が散る。

 兵士達の怒号と絶叫が荒廃した大地を覆い尽くす。

 最後尾に配置された竜操兵団りゅうそうへいだんからも、複数の竜が大きな翼を羽ばたかせ、獰猛な爪で地を蹴って飛翔した。彼らは竜使い達の命じるままに、敵陣へと突っ込んでいくのだった。

 しばらくして、エルダーグランの攻撃が弱まった。どうやら、竜操兵団によって大きな損害が出ているらしい。その機を捉え、大隊長ブルーノ・ベイロンが彼独自の湾曲した剣を天に向かって掲げた。

「よぉし、者共! 今だ、行けぇい、行けぇい! エルダーグランの奴らを屠ってしまえ!」

 それは、軍隊の大隊長による号令というよりは山賊の首領のそれだったが、そもそも敵の命を奪い、財産あるいは土地を略奪するという点では大して変わらないだろう。

 テオドルも、ノーザリア軍勢に押されてじりじりと後退していくエルダーグラン兵に追い縋っては剣を存分に振るった。

(本当に烏合の衆だったのかよ)

 些か物足りなく毒づく。

 昨夜、この戦いを前にして南征将軍であるレイオンからの訓示があった。

「エルダーグラン同盟など所詮寄せ集めの諸侯と傭兵の烏合の衆に過ぎん! 我ら勇猛果敢なノーザリアの戦士が恐るるに足らず!」

 その後でエイデンが「敵を恐れてはならないが、しかし侮ってもいけない」と付け加えてレイオンを鼻白ませたが。

「うわあああああ――っ!」

 甲高い叫び声をテオドルの耳が捉えるよりも早く、身体が気配を察知した。

「おっと。油断大敵って、やつ、だなッ――!」

 振り返ると同時に剣を横薙ぎに払う。耳を塞ぎたくなるような絶叫の後、大地に倒れ伏す音が聞こえた。

――いや。やっぱりエイデン様の仰る通りだったな」

 息をつき、改めて草地に転がる骸を見下ろした。ひょろりと細い身体。腕も細く、こんな腕でまともに剣が扱えるのかと首を捻りたくもなる。頬に泥がこびりついているが、よくよく見れば人形のような愛らしい顔立ちだ。敵兵とはいえ、こんな子どもまで戦場に出ているのかと暗澹たる気持ちになる。いや、ノーザリア軍にもこれくらいの年の少年兵はいるだろう。

 カッと見開かれたままの虚ろな瞳を見下ろして、テオドルは唇を歪めた。それは笑っているようにも、泣いているようにも見える奇妙な表情であった。戦場で過ごすうちに身につけた本能でこの少年兵を斬ったが、そうしなければ今ここに転がっているのはこの少年ではなくテオドルの骸だったろう。戦場では生者と死者の差は紙一重だ。

 日が暮れる頃になって、再びボールランの地に両軍の角笛が鳴り響く。戦闘の終わりを告げるものだ。

 ノーザリア軍の陣営は優勢な状況に沸き立っていた。特に、これまで存在があまり知られていなかった竜操兵団の威力を見せつけられた兵士達は、興奮気味に彼らの健闘を讃えた。今朝戦闘が始まる直前まで彼らを恐怖の目で見ていたというのに、調子のいいものだとテオドルなどは思う。しかし、竜使いの一族達は、無事の帰還を喜び合う兵士達の輪には交じらず、いずこかへと消えてしまった。

 そして、すべての者が無事に帰還を果たせるわけではない。何かが欠けているような気がして、テオドルは仲間達を見渡した。そうだ、トールの姿がないのだ。他の者に声をかけると、トールは二人がかりで襲いかかってきたエルダーグラン兵によって命を落としたということだった。

……そうか」

 これが戦場だ。彼も何人もの同僚達を見送ってきた。明日には自分が彼らの仲間になるかも知れないのだ。

   ◇   ◇   ◇

 いつもと同じように夕食の片付けを終え、しかしいつもとは違ってテオドルは炊事などに使っている小川に残っていた。他の者達が用事を済ませ、三々五々野営地へと戻っていくのをぼんやりと見送る。既に日は落ち、辺りはすっかり暗くなっていた。

 この隊に配属されてから常にあった顔がないというのは、何度経験しても決して慣れることのないものだ。頭上を見上げ、星の位置で今の時刻を計る。今日は見張りの当番はない。少しくらいならばいいだろう。彼はのんびりと上流に向かって歩き出した。

 目的地などない。ただ、気が済んだら野営地に戻り就寝するつもりだが、どうにも今はそんな気になれなかったのだ。

 しばらく歩いて、テオドルは足を止めた。何者かの気配が感じられる。そういったものに対してはこんな時でも変わらずに察知することができるようだ。エルダーグラン軍が展開している方角とは反対の方へ歩いて来たつもりだから、敵兵ではないと思いたい。しかし、夜陰に紛れてこちらに何か仕掛けるつもりの工作兵かもしれない。

 彼は常に腰に提げている剣の柄に触れた。いつでも抜き放てるように。注意深く周囲の様子を窺いながら、一歩、また一歩と歩を進める。すると、向こうもこちらの存在に気がついたようだ。互いに相手を警戒しながら、じりじりと距離を詰めていく。

 夜目の利くテオドルは、相手の姿を捉えると柄からも手を離し、警戒態勢を解いた。

「なんだ、あんたか。いや、失礼した、サギリ殿」

 彼の声に、相手もここにいるのが誰なのか分かったのだろう。ゆったりとした足音が近づいてきて、その姿を現した。

 竜操兵団の団長であり、竜使いの一族の長だという、サギリがそこにいた。

「あなたは」

 さすがに昨日の今日であり、忘れられてはいなかったようだ。それにしてもまた会う機会がこんなにも早く訪れるとは思いもしなかった。

 だが、サギリの様子が昨日とは違うような気がする。その違和感の原因を探して、探り当てたテオドルは目を剥いた。

「あんた、それは!? 今日の戦闘でやられたのか!?

 彼女の立場に配慮しての言葉遣いも、驚きのあまりかなぐり捨ててしまった。

 彼女が纏う装束はこの暗がりの中で濃い色に変わっていたのだ。そして噎せ返るような血の匂い。

 しかし、彼女は落ち着いたものである。

「ああ、これは。先ほどまで竜の身体を清めていたもので。血は『穢れ』です。特に彼らは多くの敵兵を殺しました。そうして流された血には殺された者の念が宿り、竜の気を乱すのです。だから清めてあげなくては。ですので、私に怪我はありません」

「そうなのか? それはよかった」

 サギリによって淡々と語られる言葉に、テオドルは己の剣を見下ろした。この剣も多くの敵兵の血を啜ってきた。時には味方も、もう助からないと一目で分かるほどの重傷を負ってしまった仲間を楽にしてやるために振り下ろしたことさえある。この相棒にも彼らの無念の想いが宿っているのだろうか。

 昼間戦場で目にした少年兵の骸をまた思い出したせいか、そんな感傷に囚われかける。

「それで、水浴びをしようと」

「ああ、そう。水あ――……あぁっ!?

 声をひっくり返すテオドルに、サギリは不思議そうな顔をした。

「どうかしましたか?」

「い、いや……なんでも。そ、それじゃあ、俺は失礼するとして――

 何故だか顔に熱が集まってくる。いや待て、俺はもう十代のガキなんかじゃないぞ――

「あー、ええと。その。……こんな時間だし、辺りも暗い。周囲には充分に気をつけろよ」

「ええ、もちろんです。ここは野営地に近いとは言っても戦場であることは変わりません。どこかに敵兵が潜んでいるとも限りません。決して油断はいたしません」

 サギリはそう生真面目に答え、護身用なのだろう、短剣を示して見せた。そういえば、あの大剣は今は持っていないようだ。まあ、あんなに大きなものよりもそちらの短剣の方が使い勝手はいいだろう。だが、しかし。

(そういう意味じゃないんだけれどなぁ……

 テオドルは短く刈った白金色の髪をガシガシと掻き毟った。

 尚もきょとんと不思議そうな顔をしているサギリにヒラヒラと手を振り、彼は今来た道を戻ることにしたのだった。

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