四 仕えぬ者の地【二】

「敵もそうきたか」

 ノーザリア陣営では南征将軍レイオンが低く唸った。昨日はやや押されていたエルダーグラン同盟が勢いを取り戻し始めたのだ。

――弓兵か」

 その傍らで剣聖エイデンも難しい顔だ。

 竜操兵団りゅうそうへいだんの強襲に見舞われた彼らは、その対抗策として弓兵を揃えてずらりと整列させた。そして、自陣目掛けて降下してくる竜達に向かって一斉に矢を放ったのだ。矢をもってしても竜の分厚い鱗を貫通することは難しい。それでも、彼らを混乱させる程度のことは可能だった。頭上からは断続的に、集中的に矢を浴びせられた竜達の苦悶に満ちた咆哮が降り注ぐ。

 南征将軍レイオンは皇帝ゼラよりノーザリア軍の約半数を預かり、ここボールランの地に展開させた。エルダーグラン同盟に対して十分な戦力を保有していたはずだ。しかし、一度は大きな戦果を挙げた竜操兵団が劣勢に追い込まれている様を目にして、一転兵士達の士気は下がる一方であった。

「これしきのことでたやすく崩れるとは」

 すぐ傍にいたエイデンだけが捉えた、歯軋りでもしているかのようなレイオンの呟き。彼は南征将軍に目をやった。一軍の将としての威厳を備えた佇まいで、彼は戦況を眺めている。しかし、その顔にはわずかではあるが焦燥が滲み始めていた。「若いな」と思うのは少々酷であろうか。

 しかし、このままではエルダーグラン軍に押されていく一方だろう。なんとかこの状況を打破したい。

「少しばかり、動いてくるとしようか」

 エイデンは不敵に笑って、双剣を抜き放った。太陽の光を受けて刀身がギラリと光る。

「エイデン? ここはまだ貴公の出番ではないだろう」

「いつまでも奴らの好き勝手にさせておくのも癪に障るのでな」

 レイオンに応える剣聖は、しかし、すでに倒すべき敵の群れをひたと見据えていた。

「なんだ?」

 戦場で培った勘のようなものが、流れが変わったことをテオドルに伝えてきた。

 昨日とは打って変わって劣勢に追い込まれたノーザリア軍。逆にエルダーグラン勢は、あれだけ仲間を屠ってきた竜達が苦境に陥っている様を見て気炎を上げていた。その勢いに、彼もまた苦慮していたのだ。だが、何やら変化が訪れようとしていた。

「あ、あれは剣聖エイデンだ――!」

 敵兵の恐怖を帯びた声。それが、絶叫となって途絶えた。見事に双剣を操る老将は、地に伏した敵兵には目もくれず、次なる犠牲者に向かっていた。

「よし、エイデン様に続け――!!

 周囲の仲間達に向けて声の限りに叫び、テオドルも及び腰になっていた敵兵に食らいつく。一瞬だけエイデンが彼の方を見て、にやりと笑ったような気がした――

 敵陣営にまでその勇名を轟かせた剣聖エイデンの活躍もあり、局地的には小さな勝利もあったが、ボールランの形勢はエルダーグラン同盟へと傾きつつあった。特に此度の戦において皇帝ゼラの詔勅によってボールランの地に現れた竜使いの一族、竜操兵団はもっとも苛烈な局面に投入されて激しい戦闘を繰り広げ、とりわけ大きな損害を受けていた。

 何頭かの竜が失われたようで、野営地に戻ってきたテオドルが見た彼らの長は、ひどく厳しい顔をしていた。元々どこか近寄りがたい雰囲気を備えた娘だったが、誰にでも気安く声をかけられるテオドルでさえ、一団の姿を遠巻きに見ているしかなかったほどである。

「よう、テオドル」

 多くの兵士が寝静まった頃合。火の番をしていたテオドルの横にすっとブルーノが現れた。豪放磊落な男だが、このように気配を消して近づいてくることもできるのだ。テオドルも気を抜いていたつもりはなかったのだが、ひやりとした。

 遠くからは獣の遠吠えが聞こえてくる。野営では野生の獣も兵士達の脅威となる。彼らの命を脅かす存在は何も敵兵ばかりではないのだ。だからこそ火を焚いて交代で番をしている。今夜の当番は別の兵士だったのだが、まだ若い彼はこの日敵陣目がけて突撃して以降、戻ってくることはなかった。死んでしまったか、敵に捕らわれたか。仕方がないのでテオドルが代わりを申し出た。

「お前さんもつくづく世話焼きな性分だな」

 大隊長はそう言うとひっそりと笑ったが、次の瞬間、思いっきり顔を顰めた。彼の頬には真新しい大きな傷があった。敵に腕の立つ傭兵がいたらしい。戦場の混乱でその傭兵とは決着がつかなかったらしいが、残された傷痕がその者の技量を証明していた。

 夕刻戻ってきたブルーノを見るなり救護兵は飛び上がって治療道具を手に駆けつけたのだが、彼は「こんなモンは舐めときゃ治る」と嘯いて彼らを追い払ったのである。テオドルの目から見ても到底『舐めときゃ治る』傷には見えなかったのだが、時々こうして顔を顰めるもののブルーノは至って平然としていた。

「そういう大隊長殿も、わざわざ夜番の部下を気に掛けてくださるとはずいぶんとお優しいことで」

「ふん」

 ブルーノは懐から金属製の水筒を取り出した。おそらく、中身は水ではないのだろう。

「傷に障りますよ」

 テオドルの忠告も無視して彼は栓を開けて喉を鳴らした。ふう、と息を吐き出したが、その目は思いの外昏い。焚き火の明かりに浮かび上がる大隊長の表情は苦いものであった。その理由は傷が痛むからだけではないはずだ。

 本来ならばテオドルではなくここにいたであろう若い兵士の他にも、ブルーノの隊に所属しながら帰ってこなかった者は少なくない。その数も日増しに増えていっているのだ。豪胆をもって聞こえる男でさえ、もしかしたら寝付けなかったのかも知れない。彼はそっと横目で上官の顔を伺ったが、すぐに目を逸らした。そこには兵士達の上に立つ男の、苦悩があった。

「今度の戦は不味いな……

 乾燥した薪の爆ぜる音に紛れてひっそりと聞こえてきた低い声。ブルーノはテオドル以上に長く軍にいるはずだが、彼がこんなことを部下に漏らすのは初めて聞いた。驚きもあって黙ったまま上官の言葉に耳を傾けているのを確認すると、彼は尚も続けた。

「竜操兵団もな、昨日は見事な戦果を上げたが対策されちまったからな。さらには、お偉いさん達とも上手くいっていないらしい」

 それはどういうことなのか。目だけでテオドルが問うと、ブルーノはかすかな笑みを見せた。

「なに、竜使いの一族、ひいては竜操兵団についてはその名しか知らない者が多い。かくいう俺もそうだ。だからレイオン将軍も扱いかねているのだろうさ。そもそもあの一族と契約を交わしたのは先の陛下らしい。いわば、直属の組織のようなモンさ。それをゼラ陛下が引き継いだようだ。将軍にとっても面倒な存在だろうよ」

 先の皇帝の甥であり、現皇帝の従兄でもある実力者。此度の戦においてエルダーグラン侵攻の最高責任者たる南征将軍に任命されたレイオンには野心ありとの噂が絶えない。

「レイオン将軍の麾下として命令には従うし、戦場で手柄も立てて見せた。だが、なんというかなぁ……連中は秘密主義的で将軍と上手く連携が取れていない。だが」

 一旦言葉を切り、ブルーノは水筒の中身を一口口に含んだ。

「エイデン様はレイオン将軍が知らんことも知っているような感じがするのでなぁ。あの方は先の陛下の頃からの一番の忠臣で、今の陛下の信頼も厚い。まだ若いレイオン将軍や場合によっては陛下も知らんことに通じている可能性もなくはない」

 テオドルも心当たりがないわけでもない。先日エイデンからの書簡を携えて竜使いの一族達の駐留地を訪れたばかりだ。あの書簡の内容は知るよしもないが、目立たぬよう、レイオン将軍の目をも避けるためだったのだろう。エイデンの心中は分からぬが、望ましくない状況だ。なるほど、ブルーノの表情も冴えないわけである。

「まあ、俺のような下っ端にはお偉い方々の考えはわからねェからな。ただ、この戦場から生きて帰ることだけを考えて戦うしかねェ」

 大隊長は下っ端とはいえないのではなかろうか、という突っ込みは胸の裡にしまい込んで、テオドルもブルーノの言葉に頷いた。

 明日の戦闘に備えてそろそろ休むか、と彼は言った。いつの間にか月が大きく傾いている。彼がこの場に現れてから結構な時間が経過しているらしい。

「一応、夜番だからな。酔っ払ってはまずいんだが」

「?」

 銀色の鈍い光を放つものがテオドルの顔目がけて飛んできた。すんでのところで受け止め、それを放ってよこした相手を見ると、彼はいかつい顔に悪戯小僧のような笑みを浮かべている。

「そいつをやろう。ほどほどにな」

 そう言い残すとブルーノは立ち上がって、自身の天幕へと戻っていく。

 水筒を軽く振ってみると、思ったよりも多く残っているようだった。

   ◇   ◇   ◇

 『それ』は突然に訪れた。

 ノーザリア帝国軍とエルダーグラン同盟軍の間で戦いの火蓋が切って落とされてから数日。

 鮮烈な閃光――次いで轟音がボールランの上空を貫いたのだった。

「なんだ!?

 レイオン将軍は、たった今目にしたものが信じられないというように目を見開いて立ち尽くしている。エイデンも一言も発することはなかったが驚愕の表情を貼り付けていた。

 ボールランの巨城の前に展開するエルダーグラン軍。それと睨み合う恰好で布陣したノーザリア南征軍であるが、さらに彼らの後方から烈しい閃光が放たれ、上空を旋回していた竜操兵団の竜達に襲いかかったのである。

「魔法使いミラセラか……!」

 レイオンが呻くように呟く。彼が口にした名に、エイデンもハッとした。

 追放されし者達の地、エルダーグラン。その各地に大勢の弟子を持つという偉大なる魔法使いミラセラ。彼女が築いたという魔法院がこのボールランにあるとも伝えられていた。そこでレイオンは斥候兵を放って周囲を探らせたが、未だ芳しい成果は得られていない。しかし、相手は並々ならぬ魔法使い。何か人を寄せ付けないための術が施されていることは充分に考えられた。

 そうして存在を隠していたエルダーグランの魔法院。厚いヴェールに覆われた存在が今、もっとも大きな脅威となってノーザリア南征軍の前に立ちはだかったのだ。

 テオドルもまた、信じがたい光景に言葉を失っていた。彼ばかりではない。敵であるエルダーグラン兵達もまた、ここが戦場の最前線であることを忘れて動きを止めた。

(な……んだよ、あれは)

 呆然とする彼の目を、もう一度苛烈な光が灼いた。大地を揺るがすような音がそれに続く。耳を覆いたくなるような竜達の絶叫が方々で上がった。

(とんでもねぇもんを隠していやがったぜ、エルダーグランの連中)

……った、やったぞ! 天は我らに味方してくださっている!」

 エルダーグラン兵の誰かがそう叫んだ。仲間達を襲っていた竜を貫いた光は、彼らの目にはそう映ったことだろう。だが、ノーザリアの兵達にとっては禍々しい光でしかなかった。

 勢いづいたエルダーグラン兵が、すっかり戦意を喪失して及び腰となったノーザリア陣営に襲いかかる。テオドルも必死に応戦するが、戦線の崩壊は止めようがない。

「撤退だ! 撤退しろ! だが、連中に隙は見せるなよ!」

 ブルーノが叫んでいる声が遠くから聞こえてきたが、既にノーザリア陣営は混乱状態である。テオドルもすぐ目の前の、飛びかかってくる敵兵を斬り伏せるだけで精一杯だった――

 

 三度みたび、光の矢が空を真っ二つに切り裂いた。

 その光景に、竜操兵団の間から押し殺した悲鳴が漏れた。

 光の矢に灼かれた竜が、鮮血を大地に降り注ぎながら落下していく。

 サギリの顔から血の気が引いていった。彼女は震える手で外套の下の胸元を探った。あまりにも震えが酷く、何度か掴み損ねた後に『それ』を握り締める。首から紐で下げた小さな革袋。その中には竜使いである証、『竜珠りゅうしゅ』が納められている。

 たった今斃された竜はサギリの『番つがい』であった。竜の中でも一際大きな体躯、陽の光を反射して虹色にきらめく鱗をもつ、珍しい個体だった。『彼』を番いとしたことで、彼女は竜使いの一族の長という地位に就いたのだった。

「長! こんなところまでエルダーグランの兵士が!」

 一族の一人が叫んだ。敵の一団がこちらに急接近しているのが見えた。

 竜操兵団はノーザリア陣営でも後方に配置されていたが、形勢が大きく崩れた今、余勢を駆って敵兵が雪崩れ込み、この場所はもはや後方ではなかった。

「ここは引きましょう」

 前方を睨み据えながら、サギリは静かに告げた。

 一同戦場に出る以上武具の鍛錬は行っているが、それは護身のためのものに過ぎない。今多くの竜を失った彼女らは無力に等しかった。

 腰に下げた短剣に触れ、次いで矢筒を背負って弓を取る。

「トウタ!」

 サギリが一族の者の名を呼ぶ。

「はっ、はい……

 弱々しい声と共に一人の少年がおずおずと前に進み出た。顔にまだあどけなさの残るこの少年は、彼女の従弟でもあった。

「あなたは竜を連れてここを離れなさい」

 彼の番いである竜はまだ生き残り、今も懸命に戦っていた。

「長、それは――

 トウタではなく、サギリよりも年長の男が懸念を表した。それは、トウタをこのボールランの戦いから離脱させようとする一族の長を咎めるというよりは、不安を示したものであった。

「ゼラ陛下には里と我が一族の存続を保証すると、そうお約束いただいています。剣聖エイデン様よりお預かりした、ゼラ陛下ご自身がしたためた文書もここにあります」

 サギリは防水紙に包まれた書簡を懐から取り出すと、トウタに渡した。次いで、彼女の側近くに控えていた女に目配せすると、彼女は頷いた。女はサギリの――竜使いの一族の長が所有する大剣を両腕に抱えていた。

 サギリは、ゼラの書簡を盾に、竜操兵団――竜使いの一族がこの戦場から手を引くことの正当性を主張するつもりらしい。

「皆もトウタを護って、すぐにここを離れなさい。私が時間稼ぎをする間に」

「長――!!

 トウタの顔がぐしゃりと歪んで、今にも泣きそうなものになる。

「大丈夫よ、トウタ。ちゃんとあなたを追いかけて里に戻ります。あなたには『やってもらわなくてはならないこと』があるもの」

……

 少年は何も言えず、顔を俯かせてしまった。

 そうしている間にもエルダーグラン兵の怒声はどんどんと近づいてくる。彼らに追われるような形で逃れてくるノーザリア兵の絶叫も。

「もう時間がない! 行って――!!

 サギリはそう叫ぶと、エルダーグラン兵に向かって矢を放った。それは狙いを過たず敵兵を射貫く。

 大剣を抱えた女を始めとする一族の者達がトウタを連れ、彼らの長に背を向けて走り出す中、数名の者はその場に残った。

「長! 我らもお供いたします!」

 彼らもまた、この戦場でサギリと同じように番いの竜を失っていた。

「ええ! でも、忘れないで! 私達にはまだやらなくてはいけないことがあると――!」

 彼女は迫り来る敵兵に矢を放ちながら、笑って見せた。

 もし、このときの彼女をテオドルが目にしていたならば、こう驚いただろう。

 ――あの娘、笑えたのか、と。

 ボールランの戦いはノーザリア南征軍の敗北に終わった。

 特に竜操兵団の損害は大きく、団長のサギリ以下多くの団員が生死不明。

 ノーザリア帝国の公式記録にはそのように記されている。

   ◇   ◇   ◇

 カランカラン、カラ――……

 固い床の上を杖が転がる音に続いて、軽い音が響いた。

「ミラセラ様……!」

 魔術師達が血相を変えて、床に倒れ伏したミラセラに駆け寄る。助け起こそうと差し出されたいくつもの手を払い除け、彼女は物憂げに身を起こした。その顔色は酷く青ざめている。

 魔法院の主はその存在を隠していた術を解き、ノーザリア南征軍に向かって、三度に渡って魔術によって生成された光を放ったのであった。

「大事ない」

 ミラセラは杖を支えに立ち上がった。彼女の弟子達は、偉大なる魔法使いが内包する『気』に圧倒されて、覚束ない足取りで歩みを進める彼女をただ見守ることしかできなかった。

「よいか、お前達。たった今のことはこの場にいた者以外には口外するのではないよ。……特に、ギデオンには、な」

 ミラセラは目を細めて遠くを見た。彼女の視線の先には、エルダーグラン同盟軍をを指揮し、戦っているギデオンがいる。

「人の身に強大すぎる力というものは、相応の代償を求めるのだよ……

 彼女のかすかな呟きを捉えることの出来た者はなかった。

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