七 隠れ里にて
「しっかし、とんでもなく険しい山だな」
テオドルは呆れたように呟いた。力を恐れられた竜使い達は山中に人目を避けた隠れ里をつくったというが、なるほど、これほど急峻な山道であれば余所の人間はそうそう足を踏み入れたりはしないだろう。しかも経路は入り組んでいて、サギリの案内がなければ彼はとっくに迷い込み、遭難していたことだろう。こんな道なき道をウィラード・ウォーロンドは精鋭を率いて踏破したというのだから、恐ろしい。
テオドルは、生まれ故郷の里を目指すサギリに同行すると言い出して、彼女を大いに驚かせた。
「これ以上、あなたにご迷惑をかけるわけには……」
「俺は俺であんたンとこの長に用があるんだよ」
ぽかんとするサギリに向かって、彼は笑ってみせた。
「今はあんたの従弟が一族の長なんだろ? そいつと話がしたい」
「話とは一体、どういう……」
尚も不思議そうな顔をしている彼女に、テオドルはただ笑みを深めるばかりであった。
ともかく、二人は狩猟小屋を引き払って出発した。サギリの回復具合は思わしくなく、本来の旅程の何倍もの日数を掛けてようやく里があるという山の麓に辿り着いたが、そこからの道のりがまた厳しいものであった。それでも彼女は一言も弱音を吐くことなく歩き続けるので、テオドルが機を見計らってはしばしば休憩を提案しなくてはならないほどである。今もまた、彼の言葉に従ってようやく足を止めたサギリは、岩場に腰掛けて水筒から少しずつ水を飲んでいる。その様子をそっと窺うと、やはり呼吸が荒い。体力には自信のあった彼ですら、難儀しているほどの険しい山道なのだ。
「おい、あんた。平気か? ――いや、全然大丈夫そうではないな」
かけた言葉には予想通りの言葉が返ってくる。
「……いえ、大丈夫です。私は、この辺りには慣れていますから」
「そうは言ったって……」
サギリは一度頭上を見上げ、また視線をテオドルに戻して生真面目な顔つきで言った。
「ここから里まではもう少しです。日も傾き始めていますし、先を急ぎましょう」
拾った倒木の枝で作った杖を手に、彼女は立ち上がったのだった。
すっかり日が暮れ、辺りが暗くなっても二人は無言のまま歩き続けた。足元の悪い場所では、少し遅れ始めたサギリに手を貸して支えてやる。そういったやり取りですら、彼らは言葉を交わすことを必要としなかった。彼女は手を貸してもらう度に礼を口にしようとはするのだが、息が上がった状況ではそれもままならず、テオドルに『無駄口』を叩くなと目だけで制されてしまっていたのだ。
しばらくして、急に視界が開ける。これまで続いていた傾斜の厳しい道に代わって、平らに均した土地が広がっている。まるで広場か何かのようだ。テオドルはすぐ後ろにいるサギリを振り返った。
「着き、ました……ここが、私達の里、です――」
彼と並んで、サギリは懐かしそうな瞳で周囲を見渡す。額にびっしりと浮かんだ汗もそのままに、彼女はほっとしたように笑った。
「ああ、そうらしいな」
暗闇の中、いくつかの光がこちらに向かって近づいてくる。恐らく里の人間が明かりを持って出て来たのだろう。
「従姉上あねうえ! やっぱり従姉上だ! よく無事で――」
暗がりから、涼やかな声がした。
一人の少年が駆け寄ってくる。しかし、彼の持った明かりが、杖を頼りに立っているサギリの隣で、彼女を支えるように寄り添っているテオドルの姿を浮かび上がらせると、彼の足は止まった。
「誰だ、お前は」
少年の警戒した瞳はまっすぐにテオドルに向けられていた。
「トウタ――」
「相手に名前を尋ねる前に自ら名乗るのが礼儀だろう、竜使いの長」
サギリの言葉を遮って、テオドルはひょろりとした少年を見下ろして言った。その口調はどこか楽しげで、少年をからかっているようにも聞こえる。
「おっと。それよりも、だ。お前の大事な『従姉上』を休ませてやれ。ひどい怪我を負ってまだ体力が回復していないというのに、ボールランからここまで歩いてきたんだ」
「怪我を!?」
トウタは慌ててサギリに駆け寄り、息を呑んだ。この暗闇の中、頼りない明かりに照らし出された彼女の顔色は確かに悪い。戦場で別れた時からずいぶんと面立ちが様変わりしていたのだ。少年は眉間に皺を寄せ、ぐっと唇を噛み締めた。
「従姉上を屋敷に」
トウタは、彼の後からやって来た一族の人間に指示を出す。彼らは、余所者の男を相手にした長の険悪な様子に、どうしたらよいものか考えあぐね、遠巻きに見守っていたのである。
「トウタ! この方は戦場で私を助けてくださったの。怪我の治療もしてくださって、ここまで連れてきてくれて……私の命の恩人なのよ。だから――!」
自分を取り囲もうとする一族の者達を押しのけるようにして、サギリは叫んだ。父から長の座を引き継ぐまでは大人しく隅に隠れていたような娘が、長となってからは次第に侵しがたい神秘的な雰囲気を備えるようになっていった娘が、こんな風に声を上げたことはトウタや一族の人間達を驚かせた。そして、それはテオドルも同じだった。
「わかりました。従姉上――先の長であったあなたに免じて、この里に一族の者以外を連れてきたこと、そして、その者がこの里に足を踏み入れたこと、どちらも不問にします。明日の朝まで、その者の滞在も認めます。ただし、夜が明けたらこの者には出て行ってもらいます。それが、この里の決まりですから」
サギリの記憶にある従弟は、いつも人懐こい笑顔で、彼女の後をまるで雛鳥のようについてきた少年であったが、彼に『竜使いの大剣』を託してからの僅かな期間で、一族の長らしく、大きな変貌を遂げたようである。それを嬉しく思うと同時に、一抹の寂しさが胸を去来する。だが、そんな感傷に浸っている場合ではなかったらしい。
「従姉上――!」
トウタの声がどこか遠くに聞こえる。自分の体が何かに呑み込まれ、沈んでいくかのような錯覚を、サギリは覚えた。だが、自分の腕を掴んで引き上げてくれる強い力があった。
少年の目の前で、従姉の華奢な体が大きく傾ぐ。声を上げることしか出来なかった彼の目の前で、その体は見知らぬ男に受け止められて、胸の中にすっぽりと収まっているのである。
「ほら、言わんこっちゃない」
男の口ぶりは呆れているようだが、従姉を見下ろす瞳は存外優しいものなのだ。
瞼を縁取る睫毛が震え、再び黒曜石の瞳がゆっくりと現れた。ぼんやりとした瞳がやがて焦点が合うと、自分がテオドルに腕の中にいることに気づいたのだろう、サギリは慌て出した。
「すみません、また――」
「おい、長殿、こいつを休ませてやれ」
慕っている従姉を『こいつ』呼ばわりするこの男は気に食わないが、彼女に休養が必要であることは一目瞭然である。
「従姉上、屋敷でお休みください」
もう一度サギリを促すが、またしても男が口を挟んでくる。
「それはそうと、俺はあんたの方に話があるんだ、長殿」
トウタの眉が吊り上がり、口元も不快そうに歪む。
「僕にはありません。――『客人』を案内してくれ」
周囲で戸惑ったように様子を見守っていた者達に命じると、彼はテオドルに背を向けた。
「ここまで、ありがとうございました。あなたのおかげで、私は――」
一度だけ、サギリは振り返って、じっと男を見つめた。だが、それもトウタに窘められて、彼女は重い足取りで遠ざかっていくのだった。
◇ ◇ ◇
「これが『客人』に対する仕打ちかよ」
テオドルは案内されて――というよりは、半ば強制的に連れてこられた部屋にて嘆息した。
竜操兵団りゅうそうへいだんの者達がそうであったように、この里も一族以外の人間に対しては排他的であることは間違いないようだ。
サギリは、この里での暮らしは楽なものではなかったと話していた。なるほど、この部屋がある屋敷の造りも簡素なものだ。だが、彼の生まれ故郷の町とて人々はつつましやかに暮らしていた。その後は軍隊暮らしで、ボールランの戦い以降は狩猟小屋で過ごし、この里までの道のりでサギリと二人、野宿で過ごしたこともあった。それから比べれば、寝台のある部屋が用意されているだけでもありがたい。この点について、テオドルに不満はない。
問題は、彼を見る里の人間の目だ。まるで虜囚として蔑むかのような、高圧的な目。そう思えば、この殺風景な部屋もまるで独房のように思われてならない。
「さて、と。明日にはここを出なくてはならんらしいが、どうするかな」
無口なサギリと共に過ごした日々で、こうして一人でいるときには思ったことが独り言となって出てしまう。
「あちらさんは話などないというが、こっちにはあるんだよな」
自身に対する敵愾心を露わにした少年の瞳など、テオドルにとっては微笑ましいものだ。慕っている『従姉』に余計なものがくっついてきたのが気に食わないのだろう。精一杯一族の長らしく振る舞ってはいたものの、この日初めて相見えた彼でさえ少年の心の裡は手に取るように理解出来た。
「あんまり手荒なことはしたくねぇんだけれどなぁ」
のんびりとぼやきながらも、テオドルは剣を手に取った。少しばかり鞘から引き抜くと、刀身が窓から差し込む月の光を反射してきらめく。再び鞘に収めると、彼は足音を忍ばせて部屋を出たのだった。
「おい、長の屋敷はどこだ」
突然、背後から低く押し殺した男の声がしたかと思うと、首に太い腕が巻き付いてぎりぎりと締め上げられた。
「お前は、サギリ様と来た奴だな――」
不幸にもテオドルの目に留まってしまったその男は、声を上げようとしたがそれを察した彼によって口も塞がれてしまい、虚しくも果たせずに終わった。
「素直に言えば命までは取らねぇ。だが――わかるよな?」
苦しそうな、くぐもった声がして、テオドルは獰猛に笑った。
「ああ、そうか。口を塞いでちゃ、答えられねぇよなぁ。いいか? 手を離してやるが、大声を出すなよ?」
捕らえられた里の男は了承の意を示すために、がくがくと首を縦に振った。
言った通りに男の口を塞いでいた手を外してやると、彼はまず大きく息をついてから、あっさりと答えたのであった。
「ここから東へ向かうと、大きな木がある。それが目印だ。大して広くもない里だ、すぐに分かる」
「そうかい。ありがとうな」
礼と同時に男の鳩尾に拳を見舞う。彼は白目を剥いてその場に崩れたが、これでも充分に手加減をしている――その、はずだ。
「約束通り、命は取らねぇが、少しそこでねんねしていな」
テオドルは男の体をその場に放り出すと、足音を立てずにしなやかな動きで男の言った方角へと向かったのだった。
静かな夜だった。
竜使いの一族が人里を離れ、ひっそりと住まうこの隠れ里の夜はいつもそうだ。
だから、子どもの頃は夜がとても恐ろしかった。そんなときは、目と鼻の先にある長の屋敷に忍び込み、優しい従姉の元へと駆け込んだものだった。
自分に一族の長の証である『竜使いの大剣』を託して、戦場で別れた前の長にして従姉であるサギリがこの里に戻ってきた。
だが、彼女の容貌は彼の記憶と大きく異なっていた。大きな怪我を負ってその回復もままならないと、従姉と一緒に現れた男は言う。
それに――彼女は番いの竜を喪っているのだ。
ボールランの地で、彼女の竜であるクオンが白い閃光によってその巨躯を貫かれ、落下していく様は彼も目にした。もし、自身の竜――カイに同じことが起こったとしたら。従姉の悲しみ、絶望は想像するに余りある。
竜使いは、番いの竜と共に生き、そして共にその生を終える。
古よりそう伝えられ、そして、そのために、『竜使いの大剣』は今、彼の元にある。
サギリがこの里に戻ってきた理由――それは彼女が口にしなくとも明白であった。
従姉は、彼女の父より長の座を引き継いだ。そして、今度は自分が彼女からその座を受け継ぐ番なのだ。
「……カイ。僕は――」
自身の半身の名をひっそりと口にする。彼の竜も今頃はこの山のどこかで眠りについていることだろう。
その時だった。
常よりも研ぎ澄まされた感覚に何かが引っかかった。異質な存在がこの近くにある。
「誰か、そこにいるのか」
鋭く問うと、何者かの気配が動いた。
「さすがに竜使いの長というところか? 他の連中よりもよく気がつく」
「お前は……」
部屋の扉がゆっくりと開き、男が姿を現した。従姉と共にこの里に姿を現した、余所者。もうその顔を見ることはないと思っていたのに。
「言ったろ。あんたに話があるって」
ずかずかと踏み込んできて、テオドルはにやりと笑ったのだった。
◇ ◇ ◇
空が白み始め、夜の間中瞬いていた星々は天から退場する。
サギリは自室の窓から見える空の色の変化をじっと見つめていた。
これが、自身が迎える最後の朝になるだろう。
竜のクオンと出逢ったその日から、自分の命はクオンと共にあると、そう信じてきた。竜使いの一族としては短いものではあったが、サギリという人間の生はクオンが戦場で散ったあの時に終わったのだ。授かった竜使いの力と共に、この命も還す時が来た。
だというのに……。
サギリは落ちつきなく、守り袋を軽く握り締めてはその手を広げ、また守り袋に触れるといったことを繰り返していた。
――そうやって、心を殺してあんたは『長の務め』を果たしてきた。それをまだ続けるつもりか?
そっと瞼を閉じると、眼裏に浮かび上がるのは射貫くようにこちらを見つめる、強い瞳だ。彼は、『したいことは何だ』と問うてきた。そんなことをサギリもおそらく里の者達も考えたことなどなかった。ただ、先祖から伝えられてきた一族の定めを守り続けること。それこそが全てだとずっと信じてきたが、この命の終わりを目の前にして、あの男の言葉はサギリの心を大きく揺さぶったのだった。
ずっと心を心を殺してきたのか。それすらも自分ではよくわからない。ただ、父から『竜使いの大剣』を譲り受けたあの時。実の父親でありながら、彼はまず一族の長であって、どこか遠い存在だった。それでも、彼から大剣を受け取り、それから――。
とても重たかった剣から伝わる嫌な手応え。そして、ゆっくりと床に広がっていく真紅……。
サギリは両手で顔を覆った。心の奥底で固く凝っていたものに亀裂が入り、そこからポロポロと崩れていくような、そんな心地がした。
どれくらいの間、そうしていたことだろう。遠慮がちに部屋の扉が叩かれる音がして、彼女は顔を上げた。次いで、外から潜められた声が聞こえてくる。
「従姉上、起きていらっしゃいますか?」
「ええ、どうぞ」
扉が僅かに開かれ、そこからまるで猫のような身のこなしで滑り込むように、トウタが入って来たのだった。彼は極力足音を立てないようにして、彼女の前にやって来た。
「従姉上、お休みにはならなかったのですね」
トウタに指摘された通りだが、そんなにひどい顔をしているのだろうか。サギリは従弟に向かって微笑んでみせた。だが、上手く笑みをつくることができているかどうか、自分でもよくわからない。
「トウタ、あなたも休んでいないの?」
少し見ない間にずいぶんと大人びた表情をするようになった少年の目の下にもまた、隈があった。彼は曖昧に笑って答えなかった。
そして、サギリはあることに気がつく。
「あなた、『長の大剣』はどうしたの?」
彼がここを訪れた理由はたった一つしかないだろうが、竜使いの長の証である大剣を、彼は携えていなかったのである。
「僕は、従姉上に対して『長の大剣』を使うつもりはありません」
トウタは落ち着いた様子で口を開いた。
「どういうこと……?」
「遅くにあの男が僕のところにやってきたのです」
彼のいうあの男とは間違いなくテオドルのことだろう。
「これが正しいことなのかどうか、僕にはよくわからない。でも、ずっと思っていたんです。『竜に愛されなかった子』だからって里から追放するのは、何か違うんじゃないかって」
少年は、大好きな従姉が自分の目の前からいなくなることをずっと恐れていた。番いの竜がいようがいまいが、彼女が自分の従姉であることは変わりがないはずなのに。
「今、この里は変わらなくちゃいけない、そんな風に思うんです」
「変わらなくちゃ、いけない……?」
サギリはただ少年の言葉を繰り返すばかりだった。
「何を、どうしたらいいかのか、まだわからないけれど……だけど、今までと同じじゃ、たぶん駄目なんだ」
「そう……」
「だから、従姉上。あの男が外で待っています。従姉上はあの男と一緒にこの里から離れてください」
「どうして?」
そこで、少年は寂しそうな表情になった。
「本当は従姉上には僕の傍にいてほしいけれど、でも僕はまだ長を継いだばかりだし、若年だし……。年老いた者ほど、頭が固い。僕の言うことよりも昔からの言い伝えを守ることを大事にしている」
トウタが危惧しているのは、彼らが一族の定め通りにサギリの命を『還す』ように強要してくることだった。だが、新たな長はその定めも変えたいのだと言う。
「時間はかかってしまうかもしれないけれど……でも、いつか必ず。だから、それまでの間、従姉上はこの里から離れていた方がいいと思うのです。あの男は癪に障るけれど、従姉上のことは守ってくれそうだし」
サギリの前では素直なトウタが何故テオドルには突っかかるのだろうか。
「でも……」
彼女の心は揺れに揺れた。ずっと一族の定めを守るため、そのためにだけに思うように動かない体に鞭打って、生まれ故郷の里に帰り着いたのだ。突然に新たな道を示されても、その道を選んでよいものかどうか、わからなかった。
「でも、これは僕の考えです。この里に残るか、あの男とここを離れるか。従姉上の好きなようにしてください。ただ、時間はあまりありません。あの男には夜が明けとともに出て行くように言いましたから」
そうだ、彼は昨夜そのようにテオドルに告げていた。
サギリは胸元の守り袋を強く握り締め、固く眼を瞑った。
「トウタ、私は……」
長い沈黙の末、彼女が出した答えを聞き、トウタは切なげに微笑む。
「さようなら、『サギリ』。――どうか、元気で」
そう言い残すと、彼は部屋を後にした。
残されたサギリは驚きに目を見開き、あたたかく、やわらかな感触が残る己が唇におそるおそる触れたのだった……。
◇ ◇ ◇
「お、来たな。あんまり遅いんで、あんたは来ないものかと思ったぜ」
まだ薄暗い中を歩いて行くと、里の入り口のところでテオドルが待っていた。
「忘れ物はないか? ないならさっさと出るぞ」
そう言って歩き出す彼に、サギリも従う。
「あの、一つ、伺いたいことがあるのですが」
おそらく彼女が遅れてしまわないようにだろう、ゆっくり歩みを進めるテオドルの背中に声をかける。
「何だ?」
「どうして、私を待っていてくださったのですか?」
彼は振り返ってにやりと笑った。
「そりゃ、こんなに複雑入り組んだ山道を道案内もなしに歩いたら遭難してしまうからだろ」
「そうですか……」
こんなにも甘えてしまっていいのだろうか、という躊躇いがどうしても先に来るが、それでも、前を行く背中が頼もしく見えるのもまた事実なのであった。