オスカー提督の受難

「オースーカー! オーースーーカーー! テメェ、居留守使ってんじゃねぇよ。いるんだろ、出て来やがれッ!」

 提督室の扉が今にも打ち破れんばかりに叩かれている。いや、蹴られているのかも知れない。昼日中だというのに簡易的な寝台に寝転がっていたオスカーはごろんと寝返りを打った。悲鳴を上げ続ける扉に背を向け、毛布を頭から被る。そんなことをしても事態は一向に良くはならないのだが、そんなことは彼もわかっている。ただ、相手が飽きて諦めてくれるという、わずかな望みに縋っているのだ。

 しかし、扉を叩く音は激しさを増すばかりだ。このままでは破壊されてしまうのも時間の問題だろう。ついに観念して、オスカーは傍に置いていた剣を引っ掴んで起き上がった。

「おい! こいつを壊したら修理代はきっちりと払ってもらうからな!」

 錠を外し、勢いよく扉を引くと、小柄な女が転がり込んできた。千人殺しという物騒な異名を持つヘルヴォルである。扉を蹴ろうと片足を振り上げたその瞬間、扉が引かれたために行き場をなくし、体勢を崩してしまったのだ。オスカーに衝突してしまってぶつけた鼻を押さえながら上目で睨んでいる。

「なんでいきなり開けやがるんだッ!」

 ヘルヴォルは扉の代わりに彼の足を蹴り上げた。

「イテェッ!」

 荒くれ者の海賊達から『冥界の魔物』と恐れられるオスカー・クールモリアといえども、耐えきれずに声を上げてしまうほどの痛みであった。

 つい今し方まで散々開けろと喚いていたではないか。

「おい、スルト! お前、このチビすけの保護者だろうが! しっかり監督しとけよな!」

 オスカーは、彼女の後ろで大人しく佇んでいる、巨躯のはがね人に指を突き付ける。スルトが何かを言うよりも早く、ヘルヴォルがその言葉に噛みつくのだった。

「誰がチビすけだってェ、この野郎! それになァ、スルトは保護者じゃねェ、相棒だ! ア・イ・ボ・ウ!」

 もう一度、彼女は足を繰り出したが、二度も同じ手にかかるオスカーではない。それは空振りに終わり、彼女は悔しそうに歯軋りした。

「あーあ、陛下のご命令でなければこんなチビ、海に放り捨ててやるんだけれどなぁ……

 氷海の提督のぼやきに、ヘルヴォルは素早く剣を抜き放って躍りかかってきた。

「チビチビうるせェ! 叩き斬ってやる!」

 彼もまた剣を抜き、鋼と鋼がぶつかり合う音が響いた。

 ゼラ皇帝の命を受けて自らの船団を指揮するオスカーはヘルヴォルらと合流、グレイベア城へレイオン南征将軍の救出に向かう、その道中のことである。

 オスカーの旗艦に乗り込んだヘルヴォルは、こともあろうに『トロい』と文句をつけたのだ。冗談ではない。少なくとも、ノーザリア帝国内で彼の船以上に速く走れる船は存在しない。船長以下操縦士達もオスカーが信頼を置く、優れた技量を誇る者達ばかりだ。自身が誇る船にケチを付けられた彼はご機嫌斜めである。それだけでなく、何かと突っかかってくるヘルヴォルとは喧嘩を繰り返していた。剣が持ち出される物騒な喧嘩ではあったが。

 海に出た以上、ここから先は操縦士達の領域だ。つまり、彼らに全てを委ねるしかない彼女はとかく暇を持て余していたのである。手の空いた船員達相手に片っ端から剣の勝負を挑んでいたが、彼女の評価は『骨がない』と散々であった。そこで、もっとも『骨がある』オスカーがヘルヴォルの暇つぶしの相手として標的にされていたのだった。評価をされているようだが、ちっとも嬉しくない。

「チィッ!」

 ヘルヴォルが舌打ちした。船室のある区画では存分に剣を振るうのに狭すぎるのだ。

「おい、オスカー! 甲板に出ろ!」

 間断なく剣を打ち込みながら、彼女は叫んだ。

 二人は剣を交えながら広い甲板へと出る。この航海が始まってからすっかりお馴染みとなった光景に、オスカーの部下達も面白がってやんややんやと囃し立てている始末だ。中にはオスカーとヘルヴォル、どちらが勝つか賭けを始める者までいる。レイオン南征将軍の危機に際して救援に向かっている最中だというのに、緊迫感といったものはこの船には無縁なのだった。

(ったく、相変わらず身軽な奴だぜ)

 ヘルヴォルは小柄な身体を活かしてすばしっこく動き回り、隙を突いて懐に飛び込んでくる。もちろん、そんなことは簡単に許しはしないが、躱すだけでも一苦労だ。そのくせ、打ち込んでくる剣は存外に重い。好き勝手に剣を振り回しているようで、その実無駄がない。誰かに剣を習ったというよりは、実戦で磨き上げられた技量なのだろう。日頃の生意気な態度から素直に評価をしたくはないが、彼女は確かに優れた戦士であった。

 さらに、はがね人のスルトとは阿吽の呼吸で、彼の巨躯を利用して弾みをつけ、相手目がけて跳躍しながら剣を叩き込む。彼も巨漢をものともせずにヘルヴォルに対応して敏捷に動き、また見た目通りの怪力で敵を薙ぎ倒していく。彼ら二人の戦う姿は圧巻だ。ただ、今のスルトはオスカーとの戦いには加わらずに、甲板の隅で大人しく見物に徹するつもりのようだ。

「よう、スルト。お前はどっちに賭ける? やっぱり嬢ちゃんか?」

 一人の船員がスルトに近づいてきた。はじめのうちこそは、ノーザリアでは見かける機会の少ないはがね人であることと、周囲を威圧するような巨躯にオスカーの部下達も遠巻きに眺めていたのだが、少なくとも剣を抜いていない時の彼は物静かで、一人二人と話しかける人間が増えていったのだ。

……

 元々滅多に口を開くことのないスルトだ。彼から言葉を引き出すことは無理だったかと諦めかけた時、低くくぐもった声が聞こえた。

「ヘルヴォルも、オスカーも、とても強い」

 スルトが喋ったことに瞠目した船員だったが、驚きが去るとにやりと笑った。

「ああ、そうだな。オスカー――提督の剣をあれだけ受けられる奴ぁ、そうそういないな」

 ヘルヴォルとオスカー、二人の様子を見守っていた船員が何かに気がついたのか、視線を外して「お?」と小さく声を上げた。

 それと同時に、副操縦士の男の大きな声が響き渡った。

「オスカー提督! おかが見えましたぜ!」

 それを合図に、これまで見物に興じていた船員達がそれぞれの持ち場に戻って上陸のための準備を始める。

「勝負はお預けか」

 スルトに話しかけてきた男もそう呟くと、自身の持ち場へと向かったのだった。

 二人もそれぞれ剣を収めた。

「ふん、今日のところは引き分けってことにしておいてやるよ、お情けでな」

「言ってろ」

 オスカーの目はすでに陸地、さらにその遥か向こうにあるはずのグレイベア城を向いていた。ヘルヴォルと打ち合っていた時はその顔に笑みもあったが、それも今は消えている。『提督』の顔だ。

 グレイベア城では剣聖エイデン、さらにはオスカーの旧友にして南征将軍であるレイオンがエルダーグラン同盟を相手に抗戦を繰り広げているはずだ。

「ったく、この船がちんたらと遅いせいで、レイオンの野郎が死んでいないといいんだがなァ」

 オスカーと並んで、どんどんと近づいてくる陸を見つめているヘルヴォルが独り言ちた。

「チビすけ、お前なぁ――

 彼女の瞳には思いの外真剣な光があった。

 ヘルヴォルはオスカーを見上げると、口の両端を吊り上げて好戦的な笑みを浮かべる。

「あの野郎を殺すのはこのオレだ。――その前に、邪魔くせェ奴らにはご退場願うとするか」

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