『冥界の魔物』

「こいつぁ、ひでぇ……

 数々の修羅場をくぐり抜けてきた男ですら言葉を失うほどの凄惨な光景であった。

 鉛色の空とも相まって、この世界から色が消失したようにも感じられた。

 方々で煙が立ち上り、嫌な匂いが鼻をつく。かつては家であったものと思われる残骸が、あちらこちらで吹きさらしのまま放置されていた。

 一方、一切の表情を消し去ったオスカーは、踏み荒らされた道をゆっくりと歩いて行った。人の気配は全く感じられなかった――

 ここは、オスカーのクールモリア家が領有する小さな村だった。領地とはいっても直接的な支配は及ばず、村の者達の自治に任せられていた土地であった。村の生活は決して豊かとは言えなかったが、村の人々は漁業で生計を立てていたと聞いている。しかし、今は小型の漁船は全て破壊され、切り裂かれた網があちらこちらに散らばっているのだ。

 村が一つ、この世から姿を消したのだった。

 オスカーの足が止まる。瓦礫の山の前に木の棒が突き立てられ、そこに括り付けられた旗が氷海からの風にはためいていた。髑髏ドクロが描かれたその旗は、先月彼が率いる船団が襲撃した海賊船が掲げていたものと同じだった。

「この前の報復ってわけか」

 地の底から這い上がるような声。吹きすさぶ風よりもさらに冷たく、心までも凍りつかせるかのような声だった。

「クールモリアへ戻って水と食料の補給が完了したら海へ出るぞ!」

 うなりを上げて吹きつける風をものともせずに立ち尽くす男。その双眸だけが炯々と光っていた。

 部下達は彼の異名を思い出す。

 『冥界の魔物』と――

   ◇   ◇   ◇

 生暖かい風が吹いていた。頭上は低く垂れ込めた雲に覆われている。海の男達は天候の変化にも敏感だ。「こりゃあ、一雨来そうだな」と誰かが呟いたのだった。

 オスカーは旗艦の舳先で腕を組み、じっと水平線の彼方向こうを睨み付けている。

 此度の航海の目的は、あの小さな漁村に残されていた髑髏を旗印とする海賊団だ。この広い大海原。一海賊の行方を追うのは容易ではないが、各港に立ち寄る度に情報を集め、彼らが向かった方向は大凡掴んでいる。

 確かに、積み荷を目当てに海賊船を襲撃し、抵抗する者は殺した。それで報復を受けようとも返り討ちにするまでだ。あるいは、斃されるならば自分はそこまでの男だったということだ。しかし、連中はオスカーに叶わないとみると、彼の領地の一つを襲ったのだった。そして、何の罪もない村民達を殺した。その行為がオスカーの怒りに火を付けてしまったことを、彼らはまだ知らないのだろう。

 ノーザリア帝国では帝国をまとめ上げた初代皇帝ウィラード・ウォーロンドが亡くなり、後継問題が勃発していた。後継者として有力候補とみられているのは彼の娘ゼラであったが、この機に乗じてウィラードによって帝国に併合された国々のうち独立を掲げて反旗を翻すところが現れた。ゼラは継承者としての証を立てるためにも反乱鎮圧に乗り出さなくてはならなかった。

 北方の反乱分子の制圧のために、ゼラは首都から陸上を北上し、彼女の命を受けたオスカーが海上を先回りして挟撃するという計画だった。その最中、クールモリアの領地から海賊による襲撃の報を受けたのだった。すぐに持ち場を離れるわけにはいかずに遅れて駆けつけてみれば、一つの村が破壊し尽くされた後だった。そこがクールモリア家が領有する地であった、ただそれだけの理由だった。

「オスカー提督、見えましたぜ! あれだ!!

 双眼鏡を覗いていた部下が声を上げた。オスカーもまた、部下の男から双眼鏡を受け取って確認する。あの村に残されていたものと同じ旗を掲げた船が見えた。

 連中は主にクールモリアからだいぶ南下した海域を根城にしているとの情報を得ていたのである。その情報を元に船を進め、ようやく追いついた――

「ようし、野郎共! 戦闘準備だ! 目標は――

 オスカーの右腕が真っ直ぐに前に伸び、まだ肉眼では豆粒ほどにしか見えない影を指し示した。

 誰かが一雨来そうだと言った通り、雨が降り出した。生暖かい風も強さを増し、白波が立つ。船は大きく揺れたが、オスカーは仁王立ちのままびくともしない。船を全速力で進ませ、眼前の海賊船を捕捉しようとしていた。

 相手の海賊船の乗員の顔もはっきりと見えるほどまで接近すると、船員達は先端に鈎を取り付けた綱を海賊船目がけて投擲する。鈎が相手の船を捕らえると、縄を力一杯引いて互いを寄せた。こうすれば、相手の海賊船へ乗り込むのも簡単だ。

 誰よりも早く、オスカーが剣を抜き放ちながら、海賊船へと飛び移る。彼の補佐を務める男はそれを見送りながら、こんな緊迫した状況だというのにやれやれと溜め息をついている。これくらいの男でなければ彼の補佐など到底務まらないのだろう。

 それから、声の限りに叫んだのだった。

「者共! オスカー提督に続けぃ!!

 戦闘は一方的なものとなった。オスカー達が予め周到に戦闘準備を整えていたのに対し、海賊船の方は自分達の根城近くで油断をしていたということもあるだろう。しかし、それだけではないほどに、クールモリア側の攻撃は圧倒的だった。より正確性を期するならば、彼らを率いるオスカーの剣技が他の何者をも寄せ付けないほどに、抜きん出ていたのである。

 風ばかりでなく、雨も激しさを増していき、銀色の細い針が絶え間なく甲板に叩きつけられている。周囲は烟けぶり、視界も悪い。そんな中、オスカーは雨に足を取られることも、敵を見失うこともなく、的確に剣を振るい続けた。彼が剣を一閃させると同時に海賊達の悲鳴が上がるのだった。

 雨と風に加え、雷鳴も轟く中、オスカーは一人、また一人と屠っていく。

 低く垂れ込めた黒い雲。海もまた、空の色を映して黒々とうねる。横殴りの雨に明かりも用を為さなくなった中、時折稲光が走って暗闇の中に男の顔を浮かび上がらせる。

 彼は嗤っていた。唇を歪め、目を炯々と光らせて、男は一つの命が潰えるごとに愉悦の表情を浮かべていた――

「あ、悪魔だ……!」

「いや、あれは……

……め、『冥界の魔物』だ――!」

 海賊達も、この男が何と呼ばれて恐れられているか、思い出したらしい。

「たっ、たっ、たっ、助けてくれぇ――!!

 暗闇の中、調子の外れた悲鳴が長く尾を引いて響き渡った。巨漢の男が、よく日に焼けた顔を青ざめさせて震えている。濡れた甲板に尻餅をつき、何とか後ろへと逃れようと手足を闇雲に動かしているが、それらは持ち主の意思には従わず、虚しく空を掻いているだけだ。

 もう海賊側で息をしている者はこの男しかいなかった。そして、この男が今のこの海賊団の首領であった。オスカーによって殺された先の首領の後を継ぎ、弔い戦としてクールモリア領の村を襲ったのがこの男だ。

 多くの海賊達の血を啜った剣を提げ、オスカーはゆっくりと首領の男に近づく。恐怖に支配された目で見上げてくる海賊の首領をいたぶるように、わざとゆっくりとした動作で。

「あの村の連中もそうやって命乞いをしたんだろうなァ、あんたに」

 彼は、海賊の頬を剣身でピタピタと叩いた。

「あんたとは違って、剣の持ち方も、戦い方も知らない村人だ。銛や漁網ぎょもうの扱い方しか知らない」

 オスカーは捕虜を丁重に扱うことと、非戦闘員に手出しをしないこと、常にこの二つを部下達に徹底させていた。また、自身の船団だけでなく、相手にもそれを求めたのだった。

 彼の顔からすっと笑みが消えた。

「それをあんたはどうした?」

「おっ、お前らがッ、お前らがお頭を殺やったんじゃねぇかッ!」

 海賊が言い返すと、オスカーは目を細めて再び笑う。

「ああ、そうだ。なかなかいい腕だったなァ、あいつは」

 それも、一瞬のことだった。

 この上もなく冷酷な顔で、彼は宣言した。

「あんたがやったことをそっくりそのまま返すだけのことだ。せいぜい自分の行いを悔いることだな」

 全てが終わり、オスカー麾下の男達は撤収のための準備を進め、忙しなく動き回っている。

 しかし、彼はというと、雷鳴が轟く中でじっと海賊船の上で佇んでいるのだった。彼の胸に去来するものを知る者はない。そして、流された多くの血は、全て雨が洗い流していくのだった――

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